2007年06月13日
ラスト オブ 伊是名
伊是名島で最後の観光地は前回の展望台から見た伊是名城跡
伊是名城跡は海抜約100mで、三方が海や絶壁になっている上に、頂上には干ばつでも枯れない泉があるため、難攻不落の城だったようです
三山時代に伊平屋島でお墓を見た(5/14 参照)屋蔵大主がお城を築き、その息子、鮫川大主がその後、伊是名島に派遣され島を治めたそうです
この鮫川大主が本当に移った後は、島は廃城になったようです
下からみても何にも見えないんですけどね
ここは車の中からしか見てないので様子がいまいちですが・・・。
ちなみにこの日は島でサイクリングの催しがあったようで、ちょうど選手たちが休憩を取っていました
伊是名も伊平屋もマラソンやトライアスロンが盛んなようです
城の北側斜面にあるのは伊是名玉御殿
第二尚氏王統の墓陵で、首里の玉御殿が造営された直後に建立されたそうです。
当初は木造だったようですよ
墓室は2つあるようで左側に尚円王の父母、右側に二代目以降の子孫が葬られているそうです
ここでツアーが一緒のおじさん(無人島で泳いだ人ではありません)、写真を撮りたいといい下車
その辺で撮るのかと思いきや、どんどん進んでいき、ガイドさんに連れ戻されてました
みんなマイペースなんですね

伊是名城跡は海抜約100mで、三方が海や絶壁になっている上に、頂上には干ばつでも枯れない泉があるため、難攻不落の城だったようです

三山時代に伊平屋島でお墓を見た(5/14 参照)屋蔵大主がお城を築き、その息子、鮫川大主がその後、伊是名島に派遣され島を治めたそうです

この鮫川大主が本当に移った後は、島は廃城になったようです


下からみても何にも見えないんですけどね

ここは車の中からしか見てないので様子がいまいちですが・・・。
ちなみにこの日は島でサイクリングの催しがあったようで、ちょうど選手たちが休憩を取っていました

伊是名も伊平屋もマラソンやトライアスロンが盛んなようです




第二尚氏王統の墓陵で、首里の玉御殿が造営された直後に建立されたそうです。
当初は木造だったようですよ

墓室は2つあるようで左側に尚円王の父母、右側に二代目以降の子孫が葬られているそうです

ここでツアーが一緒のおじさん(無人島で泳いだ人ではありません)、写真を撮りたいといい下車

その辺で撮るのかと思いきや、どんどん進んでいき、ガイドさんに連れ戻されてました

みんなマイペースなんですね

Posted by Beads at 20:06│Comments(0)
│伊是名島